2007年 08月 13日
絵画的写真
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タイトル、絵画的写真、の、話の前に。
わたしが写真を撮るようになった最初のきっかけは、この写真の方との出会いにあります。
すてきな写真。一目で釘付けになり、その後この賞を取られ納得。
撮影者の上野勝善氏は物静かで聡明で、クリエイティビティにあふれた方。他の写真もまたすばらしいのですが、きっかけの話は上野氏ではなく、被写体の方です。

綺麗で、踊るように伸びやかに、きらきら笑顔をふりまきながら写真を撮る方で。
自由。
初めて会ったとき、その言葉が浮かびました。



でね、驚きなのはこの方、その頃携帯電話でお写真撮っていたんですよ。
「えっ!携帯電話で、ここまで出来るんですか!!」
「うん、そう~」
携帯電話でいい写真が撮れる訳がない。というのがわたしの固定概念。見事に打ち崩される、すてきな写真でした。
撮りたい。こんなの撮ってみたい。なんでもいいんだ。なんでも撮れるんだ。
絵描きがピカソの絵をみると、無性に描きたくなる、なんて言いますよね。いいものはインスピレーションを与え、創造の芽を芽吹かせます。

それまで写真と言えば、観光名所をフレーム内におさめる、か、人物がぴーす、という二通りしか撮ったことがなかったわたし。
無我夢中で、デジカメのシャッターを切るようになりました。
それから後、moonisupさんangeさんのブログに見惚れて一眼レフに興味を持ちだしたのですが、それはさておき。

写真は自由だなぁと思います。
写真と言えば光、シャッタースピード、被写界深度など、とかく制限、制約、条件などの話が技術的な話題としてのぼりがちですが、いい作品は必ずと言っていいほど、それらの枠組みを破壊しているように思います。
携帯電話で撮られた写真がわたしに教えてくれたのは、「被写体が切れていてもかまわない」「被写体がこちらを向いて笑っていなくてもかまわない」「上から撮っても、横から撮っても、下から撮っても、どこから撮ってもかまわない」ということ。
シャッタースピード、絞り、露出、ホワイトバランス、全てオートで撮られたスナップ写真。感覚値の世界。
知識なんか関係ないんですね、ぜんぜん。とか言うと語弊がありますが、知識や技術はあくまでツールだと思います。(楽しいけどね、テクニックで遊ぶの)

ブレッソンの写真は計算されているかのように美しく、感嘆するばかりですが、わたしはそこからも「自由」を感じました。
制約を乗り越えているからです。軽々となのか、血の滲むような努力の末なのかはわたしには判断がつきませんが、とにかく凌駕していることは確かです。
写真のような絵画は多かれど、絵画のような写真はそうそうないように思います。ごろごろあったら絵描きはたまらないですよ、写真じゃ出来ないから絵を描くんですから。
美しい構図の写真は数多くあっても、絵画的技法を盛り込むのは至難の業。構図的な話もそうですが、ブレッソンの場合特筆すべきは人物の捉え方、とわたしは思いました。
ルネッサンス時代を彷彿とさせるような、生き生きとした人物の表情、写るひとそれぞれの物語を感じるかのような描写は圧巻。ドラマチックです。
写生であれば絵を描く必要はない、写真を撮れば良い、なんて言う絵描きさんもいらっしゃるほど。写真は写実である、というのが固定概念。難しいですよ、脚色が加わっているかのような、絵画的写真は。事実から切り取られたものであればあるほど。
こういう写真もあるんだ、、、。写真の世界の自由さ、広さに改めて感動。

絵を描くのなら下手したら数年かかったりするものが、写真ならシャッターひとつでハイおしまい。(撮影はね)
それが写真の面白みであり、楽しさであり、素晴らしさであり、難しさなのだろうなぁと思います。

#写真はブレッソンにインスピレーションを受けて。なんて言うと恐れ多いですが、ま、一般人ですもの楽しければいいじゃない、と胸をはってみることにします。
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by seika79 | 2007-08-13 16:12 | 写真


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