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2006年 11月 12日
ひとりごと
加齢とともに、病気の治りが悪くなったなーと思います。
昔は1日ぐっすり寝ていれば治っていたのにね。ちーとも熱が下がりません。マイッタ。
歳をとるってこういうこと?

しかもお月さんがやってきまして、ダブルパンチです。
痛いよー。泣。眠れやしない、、、。
薬、早く効いてくれないかしら。がんばれ薬!がんばれわたしの体!フレ、フレ、ま、け、る、な!!←よく分からないテンションになってます。



ところで、なんでも運命論にするのはいかがなものかと思うのですが、今回の風邪っぴき、しっぺ返し(バチが当たった)かなと自分では思っています。

他人にかまけすぎました。反省。

ここ数日のわたしは大変傲慢で、偉そうに他人に説教たれたりして、自分でもそれがとっても嫌だったのですが(弱冠26歳、ひとさまに教えられるほどの人物かってね)、妙にぷんすかぷんすかカリカリしていて、時として当り散らしたり、ひとさまの陰口言ったり。
親密度の高い相手(家族など)には当り散らして、親密度の低い相手のことは陰口言いますね。これってベクトルが違うだけで同じこと。
よろしくない。これはよろしくないですよ。

大体、お前はわたしのことをどう思っていやがるんだとか迫っていた辺り、ちょっとおかしいです。それじゃ昔の自分と一緒。
自分を認めるのは自分の仕事で、それをひとさまに委ねてしまったら人生オシマイです。
究極的に言えばどうだっていいんです、そんなこと。他人の評価ってころころ変わるし、そんなのいちいち気にしてたら自分の人生が揺れに揺れてしまいます。
それって自分のことを他人に押し付ける行為に他なりません。とても恥ずかしいことだと思います。
相手だって、気持ちの揺れの自由がなくなって息苦しくなるし。
にんげん、自分のことだって嫌いとかサイコーとか思ったり揺れ揺れなんですから、他人のことなんかどうだってよくなることがあって当然です。
相手が自分のことどうでもいいと思ってるから、わたしはどうでもいい人間なんだとか(まったくもってうつ的発想ですが)、くだらねーこと言いやがってぇ、ぐらいのものです。誰がどうでもいいと思っていようが、例え自分がどうでもいいと思っていようが、どうでもいい人間なんかいやしねぇんだ!です。熱血。

イライラ、情緒不安定を、「ああ、、、生理か」って理解するのは簡単なのですが(実際、今回のはその影響もあった、たぶん(笑))、もう少しよく見てみると、「セロトニン」という脳内物質の不足だったりします。
この物質、心の安定を司ります。
わたしはうつ病を認知してからこれまで、この物質のコントロール方法を鍛えてきました。
自分の力ではいかんせんままならない時もあります。そういうときは、薬の力を頼ったり、ひとさまに甘えさせて頂いたり。
でも、自力でコントロール出来るようになるのが最終目的地点です。そこを忘れてしまってはダメ。今回、その意識を新たにしました。
そしてまたひとつ、山を越えた気がします。あー、自分で自分の面倒みるって、こういうことか、って。

女性の体って、快楽にしても苦痛にしても本当に深い深い海のよう、と思うことがあるのですが、自分の体のことをよく知る、体と対話するってとても大切なことです。
本当は何を求めているのか。休養?活動?他人との接触?独りの時間?心は理想(煩悩)を持ちますから、時として虚偽を作り出します。そういうのを取っ払ってしまわないと、答えにはたどり着けません。
座禅、瞑想、祈り。すべて、自分との対話法です。神様は自分の内なる世界と繋がっていて、そことリンクしたとき、孤独からの解放があります。(それを悟りと言うのですが)
極楽浄土というのは、煩悩の果てには決してなく(金銀財宝では賄えないのです)、内なる世界にあるものです。
ぶっちゃけた言い方をしてしまうと、セロトニンがたくさん分泌されていれば気分は極楽浄土。それはハイでもなく、ローでもない穏やかな平穏な世界です。
アブナイ発言ですが、わたしは薬(抗うつ剤)でその世界を垣間見ました。凪のようにぴたりと揺るぎない精神状態。強さって跳ね返すものじゃなく、受け流す力だ、と思いました。
弱さを見つめること。大丈夫だ、という安心感。世界が閉じない、分離しない、浮遊もしない、わたしはここにいる。現実感、確かに地に足をつけた感覚。

ちなみに、偉そうにこんなこと言ってますが、わたしは無宗教です。浄土真宗結構好きですけどね。お経とか。
でも、たぶん自分の性に合ってるのはキリスト教。と、まぁ宗教観念はしっちゃかめっちゃかですが、信仰心って誰にでもあるものだよねということで、ご容赦いただきたく。<適当。

今回の風邪、しっぺ返しだって言いましたけど、もう少し科学的根拠風に言ってみるとすれば、他人に意識が向かっていた分、自分のケアが出来ていなくて、そうすると免疫力って落ちるんですよね。
化粧に免疫力向上の効果があるのは有名な話で、要するに自分満足度が高まると強くなるってことなんですけれど。にこにこハッピーでいれば病気知らずってことでもあります。
あのひとはどう思っているんだろうとか、あのひとにどう思われているんだろうとか、そうやって他人にばかり意識が向かっていると、病気になってしまうよと。恋は病とは、よくいったものですね。(笑)
体って本当に正直です。

わたし、つい最近久々に本気ギレしたんですけど(わたしがマジ切れすると怖いのは知人の皆さんよくご存知ですね、アレになったんですよ、怖いですね)、何をわーわー喚いていたかと言えば、「自分のこと、自分で大切にしなよ」ということです。
自分への言葉なのでした。
もちろん、その相手にもそうして欲しいけれど、感情に任せてひとさまの心にずけずけ入り込んでそんなことを喚くなんて、失礼千万です。
本当に相手を大切に思ってのことなら、相手のペースや相手の状況に合わせて(相手の立場を考えて、思いやりをもって)行動するはずのに、わたしは自分の不満とかストレスをごちゃまぜにして投げつけました。偉そうに。本当に、恥ずかしいです。
きっと相手はとても気持ち悪い思いをしたはずです。

つい最近結婚したチョウソンハくんは、「だって聖花さんのは、自分ギレだもの」と昔言ってくれましたが、言いえて妙。
ええそうですよ、いつだってわたしは至らない自分にマジ切れですよ。伝えたいことがあるのに、どーして伝えられないんだってぶちぶち切れてる訳ですよ。情けないわ、、、。

マジ切れでぶつかってしまった相手には、もう伝えることはない(というより資格ナシ)気がするけれど、もしもう少し付け加えるとするなら、「ごめんなさい」って言いたいです。すごく無礼を働いてしまいました。以前も同じことがあったのに、学習出来てないのはわたしの方です。
そして、出会ってからこれまでずっと思っていること。ありがとう。
わたしはそのひとと出会って、そのひとを好きになったから、自分のことをもっとよく知ろうと思うようになったし、色んなことを学ぶことが出来ました。
この気持ちをもらっただけで、ほんとうは十分なんです。相手はわたしにとって、存在しているだけで充分で、他のすべては自分の仕事。ひとさまにどうこうしてもらうことではありません。
他人の脳内セロトニン分泌量なんか知るかってね。(笑)
色々と苦しいけれど、それは決して他人には分かることのないわたしの苦しみ。だからこそ自分の闘いなんです。それは相手にとっても同じこと。相手の闘いを見守ることは、その相手を信頼しているということでもあります。手出し無用、茶々入れは失礼です。
闘いに他人を巻き込んだり、巻き込まれたりは不本意。なんかいつもごちゃごちゃごちゃごちゃ、めんどくせーなーって思われるし。(笑)
やー、せっかく関わるなら、楽しく過ごしたいじゃないですか。闘いとは関係ないところでね。その方がお互い元気になれるし。

もう他人にかまけるのはやめます。
自分の人生、自分で生きるが吉。ひとさまのことは、余力でやればいい。今のわたしに余力なんかほとんどありゃしません。だいたいうつ病になんかなっちゃう人間が、他人の助けなんか出来るかってんだ。
三十代ぐらいには余力がそこそこあればいいなとは思うけれど、今はまだいいや。精一杯、生きてみせますとも。自分のIDを、もっともっともっと、ぴかぴかに磨き上げて参ります。

自分の力で幸せになろう。
パートナーシップを築くなら、その力を持った相手を選べるようになりたいです。わたしが幸せにするから傍にいてなんて、そんな代償行為は哀しいから。
「きみを幸せにするよ」とか、ちょっと憧れって思うけど、実際言われたらやだなと思うだろうし、「一緒に幸せになろ」の方がずっとずっと嬉しいもの。
わたしはそういう、人間です。黙ってオレについてこいとか大変苦手。あはは、ついてかないねー、と思ってしまう。かわいくないんです、ちっとも。(笑)
ほら、こっちだってば。って手ひっぱられると弱い、ってとこはありますけど。あ、そうか、そっちか。みたいな。単純。(。‐v‐。)
でも、自分の道は自分で選ぶし、自分で切り開くし、自分で責任取ります。憐れみや羨みは要らないよ。そんなのなくたって、生き物は喜びひとつもって、確かに繋がっていけるのだから。

さて、ごちゃごちゃ長文書いてる間に、すっかり薬が効いてきました。西洋のお薬はほんとすごいねー。対処療法ぴかいち。
今日しっかり休んで、月曜には元気になっていないと。仕事がわたしを、待っている!(笑)

by seika79 | 2006-11-12 03:01 | ひとりごと


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